◆◇◆このページは【隊商運営協会】様が主催する「caravan」参加キャラの設定ページです◆◇◆


時間の切れ端(シンキside)

 ――――覚醒を促したのは澄んだ水の匂いか、それともその後聞こえた短い呻き声か。

 備え付けの机に突っ伏していた身を起こし、まだ睡魔を伴っているまなこを乱暴にこすって眠気を払う。
 知人に借りた本を読んでいるうちに、つい寝てしまっていたようだ。
 机の上には無造作に放り出された本が見覚えのないページを開いていた。寝ている間に数ページめくれたものらしい。
 本の上部を指でなぞるとすぐさま紙片にぶつかる。その栞替わりの紙片の挟まったページを開いて読みかけの場所であることを確認し、改めて本をぱたんと閉じる。起きぬけに読み直す気はない。
 本を机の上に置いたまま席を立ち、ようやく後ろを振り返る。
「…………ぁ?」
 部屋の主がずぶ濡れの頭をタオルで乾かしているところだった。
 俺が居眠りをしていたのは外の明るさから考えてもほんの短い時間だったと思われる。俺がまだ本を読んでいた時は確かこいつはベッドの上で静かに眠っていたような気がするのだが……
「どっか出掛けでもしてたのか」
 例えば噴水の中とか。例えば井戸の近くで桶をひっくり返したドジっ子のすぐ横とか。
 その辺りでも歩かない限り、雨の乏しいこの砂漠でオアシスとはいえこんな濡れ鼠にはならないだろう。
「…………」
 答えを期待して言った訳ではなかったが、相手は意外にも無言で返した。
 相変わらずタオルで拭く手を休めずにいるので、ともすれば単に聞こえていなかっただけのようにも受け取れる。だが、長い前髪の下から瞳がちらりと一瞬こちらへ向けられたので、一応聞こえてはいたらしいと分かる。
 いつも上機嫌に笑っている印象の相手だから、この反応は正直予想外だ。
 苦笑の一つ、悪態の一つでもあったのなら、それに応じて手を貸すことも容易だったのだろうが……いつもらしからぬ不機嫌そうな横顔に、再び声をかけていいものか躊躇われる。
(俺が寝てる間に何があったってんだ?)
 なんとも気まずい空気の中、その空気を打破するかのように不意に音が割って入ってきた。
 初めはなおざりなノックの音。そのすぐ後(ほぼ同時といってもいいタイミングだが)で、勢いよくドアが開いた。
 そして勢いのいい男の声が響き渡った。
 名前はなんだったか……先の町から隊商に同行して来た、リディアンの知り合いだという男だった。
「いよう、リディアン起きてるか! よしよし、ちゃーんと起きてやがるな」
「…………」
 リディアンは俺の時と同じように無言で返した。だが、俺とは違った反応もあった。
「ぶわっ!!」
 すっかり水気を含んで重くなったタオルが視線とともに投げられていた。
 思わぬ行動に唖然とし、その動作から一拍遅れてやっと投げた張本人を見やる。
「う゛ー……こんなモンやろか……?」
 もはや入口に突っ立つ男や投げたタオルの行方など気にもせず、さっきよりはマシになったとはいえ未だしっとりと湿っている自身の髪を手で梳きながら不満げな表情をしていた。
「って、顔合わせて早々何さらすんじゃぼけぇ!」
「報復。……理由は自分の胸に手ぇ当てて考ぇーや」
 濡れタオルを握りしめ吠える男だったが、リディアンは髪同様に濡れて張り付く上着を脱ぎ捨てながらさらりと言った。どうやら機嫌が悪いのはこいつのせいらしい。
 どうでもいいが、床が濡れるからタオルを力いっぱい握り緊めるのはやめてほしい。
 そう思っていると、律儀に片手を胸の上に置きつつ考える素振りをしていた男がようやく俺の存在に気づいたらしい。
「お、そっちの坊主も起きてたのか。んじゃ、お前もついでに一緒にメシ食いに行こうぜー!」
 酒場などによくいる豪快なおっさんみたいな調子で声をかけられた。
 なんと返事したものか困り、あーとかうーとか言っていると、
「ユーゼスの奢りなんやから、そない気にせんとお相伴にあずかったらええで」
「そうそう俺の奢りなんだから気にすんな……って、まてこら! 俺がいつ奢るっちゅーた!?」
「ルフちゃん使ーて起こした時点から決定やん」
「勝手に決定すな! リドがぐーすか寝とるから親切にもこの俺様が起こしてやったんやないか!」
「一日に何度もこない起こされ方されとーないわ」
 男の名はユーゼスというらしい。
 何故かリディアンの口調が移っている……いや、元来こちらの喋り方の方が彼にとっては自然なのだろう。
 リディアンと旧知だというのだから、故郷が同じで、そこの喋り方がこういう独特なものなのかもしれない。
 言葉の応酬の合間にも、リディアンは再び髪を手ぐしで梳いていた。
 手の触れた所から白い煙が上がっている。よくよく見ると、どうやらそれは湯気のようだった。
 原理は分からないが、火の魔法で髪の水分を飛ばしているらしい。器用なヤツだ。
「……そーだな。俺も腹減ったし、何か食いに行くか」
 二人のやり取りにおいてけぼりを食らっていた俺は、昼食をまだ食べていない事を思い出してぽつりと言った。
 すると、リディアンはちゃっかりそれを聞き取ったようだ。
「っちゅーわけで、ユーゼス先行って何か頼んどいてな。オレも着替えたら行くからよろしゅーねぇ〜w」
 と、いつの間に調子を取り戻したのか笑顔で手を振ってユーゼスを送り出す態勢である。
「……はぁ、わーったよ。今日は心のひろーい俺様の奢りでOK。食堂、先行っとくぜ」
「頼んだで〜♪」
 降参とでもいうように両手を上げて見せ、ユーゼスは入って来た時と同じように屈託なく笑って去っていった。
 リディアンはユーゼスに言ったように着替えを手早く済ませ、俺はその間、本を一旦自分にあてがわれている部屋へと持ち帰ってから食堂へと向かった。
 食堂へと向かう道すがら、リディアンはもうすっかりいつも通りの明るい笑顔を振りまいていた。
 ジンというのはやはりよく分からない事で機嫌を損ねたり、すぐに復活したりするもののようだ。
 土のジンである母と比べれば、火のジンであるこいつの方が属性の気性が激しい分、その差が激しいだけなのかもしれない。




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